晩酌福祉士:男の育休シリーズ Vol.4
「包括ケアの墓場と化した病棟で、僕の限界が静かに崩れた。」
🍶プロローグ:はじまりは、あの説明会だった
あの伝説の説明会から、全てが始まった。
復帰初日、事務長の意味不明なプレゼン。
その後、待ち受けていた「退院支援という名の強制退院」。
そして、満を持して始まった“地域包括ケア病棟”。
…が、始まった瞬間から詰んでた。
💀稼働率60%以下。誰もが分かっていた未来
包括ケア病棟が始動して1か月──
稼働率は60%を切る。
あまりにも早すぎる失速。
でも、正直、「そりゃそうだろ」と思った。
だってここ、ド田舎の地方病院だぞ?
📉反対していた理由、今だから言わせてくれ
僕は、地域連携室の立場から、何度も言っていた。
「ここで包括ケア病棟は現実的じゃない」
「訪問看護事業所の立ち上げとか、介護医療院への転換の方が堅実」
でも本部は聞く耳を持たず。
彼らは“数字”と“制度の建前”だけを見ていた。
現場の温度や地域特性は完全スルー。
それもそのはず。
近隣の病院だって半年で包括ケア病棟を閉鎖してるのに。
🚑新規患者ゼロ、そして押し付けられる“厄介ケース”
蓋を開けてみれば──
■ 新規入院はゼロに等しい
■ 近隣の急性期病院からの転院もパッタリ止まる
■ 紹介されるのは「地域で問題あり」「家族なし」「行き場なし」の患者ばかり
どう考えても60日で退院できるわけがない。
何なら、退院先を探しているうちに、
また病状が悪化して再入院…なんてパターンすらある。
🧾とどめは給料カット。「計算ミスでした」の一言で。
そして追い打ちのごとく届いた通達。
「ベースアップ加算、実は1年分、計算ミスしてました」
…は??
その結果、給料が減額。
ミスしたのはこっちじゃない。
でも、痛むのはこっちの財布。
🧠もう無理。辞めよう。次の職場を探そう。
この時、僕の中で音がした。
「パキンッ」
限界って、静かに壊れるんですよね。
「やってられないなぁ…」っていうレベルじゃない。
「もう無理。辞めよう。」
気づいた時には、転職サイトを開いていました。
🏠そして、家庭でも限界は迫っていた
家庭も、限界が近づいていた。
■ 娘は相変わらずミルクを飲まない
■ 妻はワンオペ状態が再び
■ 出かけることもままならず、笑顔が減っていく
ある日、仕事から帰って来て。家中真っ暗。
産まれてまだ数カ月の娘の泣き声だけが聞こえる。
寝室で呆然としている妻がポツリとこぼした。
「ごめん、もう無理…」
その言葉に、何も返せなかった。
仕事でも家庭でも、僕は誰も救えてない気がした。
🍺それでも晩酌は、今日も僕を少しだけ救ってくれる
晩酌の時間だけが、
僕にとっての“逃げ場”だった。
氷がカランと音を立てる音。
ハイボールの炭酸が喉を刺す感じ。
疲れた胃に、ちょっとだけ沁みるツマミ。
「もう少し、がんばれるかも」
そう思える、かすかな余白がそこにあった。
📝おわりに:反論できない、でも納得もできない仕事
包括ケア病棟が機能しない。
給料は下がる。
無茶な方針で強制的な退院を進める。
家では笑えない。
MSWとして、社会福祉士として、父親として、
「このままでいいのか?」という問いが、
頭の中をぐるぐる回っていた。
そして、僕はついに、決めた。
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